昭和46年08月22日 朝の御理解



 御神訓 一、信心の心得 「障子一重がままならぬ人の身ぞ。」

 信心のおかげ。信心さして頂くおかげで日々喜びの生活が出来る。日々安心の生活が出来る。千代田さんの言葉を借りると、信心をさせて頂いて、段々教えが身にしみて参りましたら、この頃ではどことものう有難とうなってとこういうのである。これは嘘ではなさそうだ。千代田さんの御信心ぶりを見ておると、又は御用ぶりをみておると、本当にどことものう有難うなっておいでておられるなと思う。
 私は本当に信心のおかげというのは、そういう中にもう明日の事は心配はない。もう過去の事についての不平も不足もない。只今日、只今を有難う過ごさせて頂けばよい。なら、今月今日の只今を有難く過ごさせて頂こうと思うたからというて、出来る事じゃない。それどころじゃない。先々の事は心配するまい取り越し苦労じゃからと思うても、やはり取り越し苦労が出てくる。心配が起きてくる。過去の事に於いても本当にあの時にあのような事がなかったらと思う様な、過去に対する不平不足の心が起きてくる。
 信心させて頂いて、何というても一番のおかげは、日々が安心して生活が出来る。日々が喜んでおかげが頂かれる。喜ぼうと思うのじゃない。どことものう有難うなって、どこからか湧いてくる信心の喜びが、過去からもなからなければ未来でもない現実、現在、今日、只今が有難い。千代田さんがそれこそ、お城のような大きな家に、住んでおられると言う事でもない。
 お金を有り余る程持っておられると言う事でもない 立派な着物に着飾っておられるという程しの着物を持っておられる事、持っておられん事も私は知っている。お城の様な家を建てたり、おかげを頂いてそれこそ、何十万もするような着物も着せて貰いたい。まちっとましな豊かな生活がしたいと、それは願わん者はありませんけどね。信心させて頂いとると、そういうものが段々無なってくるです。無なってこなければ嘘です。
 それはもう、願え願えといわれるから、商売繁昌も願う。立身出世も願うけれどもそれは例えば今日の御理解、障子一重がままならぬ人の身ぞという程しの信心が分からせて頂いたら、そういう願いはなくなってくるです。これは私自身の体験を、椛目時代から今日二十何年の信心ももって、ほんにあげんありたいと思うたことは一ぺんも思うた事はありませんからね私は。あげな家に住みたいとか、あげな着物を着たいとか、一ぺんあげなものを食べたいとか思うた事はさら々ないです。
 だから願いになって出てきませんもの。本当ですよそれをね、結局障子一重がままならぬ人の身という事が段々心の中にしみ込んできた。例えばならば椛目で人が助かるようになった時代の一時代前の、私の修行中の時代をいうてもよい。借金は山積み。当時の私にとってはです、まあ、いうならば、住もうに家なし、食べるに食なしという程しの時代なんです。事実そうだったんですから。引き揚げて帰ってからの事。
 なる程その当時の信心の、私の力の入れどころというのは、こういう状態で現在の両親が例えば、お国替えのおかげを頂く事になったら、これは目もあてられんぞと思いました。丁度妹婿が亡くなります頃は、あの終戦直後に亡くなりましたが、もうそれこそもし、このような状態で、両親がお国替えでもするというなら、この両親に喜こんで貰いたい。この両親に親孝行の真似事でもさせて貰いたいの一念が、私をして北支あたりまでも、いわば雄飛させてわけなんです。
 それが裸で引き揚げて帰ってこんならん事になってしもうて、もう目もあてられない状態で、このまま、ですから例えば食べ物一つでも着物の事等は思いませんでしたけれども、せめて普通でいう三度三度の、当時白御飯を銀飯と言いよりましたね 三度に一ぺん位は本当に銀飯の御飯を腹一杯食べて貰いたい。子供達でもひもじい思いをさせんだけ、私共はもう一碗のお粥食もゆるされるなら一生これでよいと思うた。その為にはだからそういう願いをですね、成程もっていました。
 けれどもどうでも自分の知恵やら力では出来ない。神様に御縋りするより外にないというところから自分の無力さというものが、段々わかってきた。だからそういう切実の願いとても、神様のおかげを頂かなければ出来る事ではないのだと。私が精進したから、努力したからとて出来る事じゃないのだ。その後、段々信心の進展と申しますかね。その親の事ですらが、もちっと高度の親がある。いよいよ大きな意味に於いての親がある事に気づかせて頂くとこからは、もうそれも思わんようになりました。
 それは信心の喜びが段々、心、体、全体に満ちてきたからじゃろうと思います。それこそ、どことものう、信心が有難うなってきたからです。有難とうなってきたら、この一碗の御粥食が頂けれる事が有難いんだとわかってくる。親を撫ぜたり、さすったりする事だけが親孝行じゃない。銀飯を食べさせる事だけが親孝行じゃない 温泉にやったりする事だけが親孝行じゃない
 その当時私の町内、草野の町で闇で儲けられた方があった。おじいさん、おばあさんがおられませんでしたから、若い嫁さんを息子がよんでやって、あちらの息子はとても親孝行だと、そして新婚旅行というのでしょうかね、旧婚旅行というのでしょうか、そのもううちの父達位の年配でした、温泉に旅行に出された。旅行でお風呂に入っておられた。嫁さんが入っていきなさったらぷかっと浮いちゃった温泉の中で。
 まあ私はそう言う事からでもです、本当に親にさあお小遣いをあげた、温泉に行って下さい。さあよい着物を買ってやると言う事が親孝行じゃないと、そういう例は幾つもありました。私共の周辺には。皆さんの周辺にだって同じでしょうが。始めはそう思いました。その私共に一碗のお粥食が頂けれる事が、有難いと分らせて頂く様になっきた。さあ貧乏はしておっても、もう一家中が当時はまだ病人がおりましたが、病人は二階に寝たっきりの病人がおりましたけれども、病人がおる様な家庭とは思われなかった。
 鍋の中を見たらびっくりする様な状態であったけれども、それでも貧乏しとる家に病人がある様な暗い雰囲気はさら々なかったと人が言うとる。いうならばいつも笑いどよめきであった。暇さえあればもう本当に椛目に大坪さん所は、あげん神様を拝まにゃんじゃうかといわれる位拍手は絶えなかった。まちょいとしたもの頂いたっちゃお神様にお供えする。ちょっいとした事があったっちゃお願いをする。ですからすぐ横が通り道じゃから、あるほかの信心をしよるおばあさんが言いよんなさった。
 ちょいとあげん拝まんなら金光様もおおごとちゅうてから、と言いよんなさったですよとある人が言うてきたという程しに拝みよった もうその頃にはね、もうそのお粥食が頂けれる事が有難いと言う事。私共がですね、まだ本当に商売大繁昌のおかげを願うとか、立派な家を建てたいとか、これは私は我情我欲の願いだと思う。まず自分が現在のところでです、もうこれが勿体ないと分らせて頂く信心。その信心はどことのう有難うなってくるという信心がまず、先決だという事。
 そういう中に日々が喜びの生活、不安のない生活、こげな状態で先はどげんなるじゃろうかと、真っ暗くなるような思いがさら々ない。神様のおかげを頂ければという事である。もう、いよいよ今日食べるものがないですよという時でも、明日は明日としておかげを頂いて行ったら、明日は明日で間違のう神様がおかげを下さった。その事実その体験が明日の事の心配がなかった。
 千代田さんのお届けにはね、どうぞ家を建て直させて下さいとも、もちっとお金が儲かりますようにとも、息子がいま植木屋をしとります、庭師のような事をしよる。商売が繁昌しますようにとも願われた事がない。自分の親戚の事から隣近所のことから、それが一生懸命に願われる。だからそういう事が神様の喜びともなるのだろう その喜びが千代田さんの心に照り返ってくる。それがどことものう、有難うなってくると言う事になる。その有難さに伴うてくるところのおかげ。
 私共がね、こういう凄まじい現代社会の風潮というか、社会の荒波というか、そういう中にもまれながら心配すればもう限りがない。日に日に増えておる交通事故、それこそ世界いたるところで叫ばれておる公害問題。もうどれを取っても、いわば暗い思いにならなければならないような状態の中にあっても、御礼を申し上げる心が出来てくる。そこにはその公害もいうなら、煩雑に起こってくる交通事故の中からも、おかげを頂いて助かって行けれる道がちゃんとついてくるのが信心のおかげ。
 自分でどうする事も出来んのだから、神様のおかげ頂くより外にない。神様のおかげ頂いてから、頂かなければ出来る事ではないのだから、今日只今こうして、おかげを頂いている事が有難いとどことものう、有難うなって来る様な信心をこそ、願わせて頂かなければならぬ為に、自分のいわば無力さ、自分の力のないと言う事を、いよいよ悟らせて貰うて、障子一重がままならぬ人の身であるという、自覚ができたところから生まれてくるもの、それは私共の、我情我欲の願いというものが影をひそめてくる。
 そこから今日只今が有難うなってくる。その有難いという心におかげは進展してくるのも伴うてくるもの。そこでです障子一重がままならぬ人の身であると言う事。そういう自覚ができて縋る所、その次に壮健なとも信心の油断をすなとあります。障子一重がままならぬ人の身である事が、ぎりぎり結局の所人間の無力さ加減というものを分らせられて頂いて、それでいて壮健とも信心の油断をすなという、信心の油断をせずに、おかげを頂いて行く所から生まれてくるのが、その日その日の安心である。
 明日に不安のない今日の生活が出来るのである。私共信心をさせて頂く者の、目指すというのは、日々不安のない生活なのです。取り越し苦労のない生活です。悔やまんで済む生活なんです。そういう生き方をまず、体得させて貰う。しかも信心の油断をする事なく、おかげを頂いて行く。そういう信心の喜びが積もり積もって、たまりたまってそれが喜びの徳とならして頂く。まあそれから先はそれから先は、まぁあれよあれよと言う様なおかげになってくるのである。
 必要にせまられ、神様がちゃんと必要にせまられておるなと御承知。だから神様はちゃんとおかげを下さる。この御広前の建立だってそうですよ。もうそれこそ後から押されるようにして、必要に迫られたから出来たんでしょう。今度のそこに計画されておる西脇殿というでしょうか、○少会館というでしょうか でも、さあ○少の方達が一生懸命信心が出来るようになった。いろんな御用をさして貰うごとなった。もう此処の御広前ではどうしょうもなくなった。
 必要に迫られたから、そういう話が勿論記念祭を期してからだけれども、そういう話合いがそういう迫られたから、そういう事にならされてきておるのである。記念祭じゃけん建てるとでは決してないですよ。○少会館はもう、合楽では迫られておるからですよ。来月は青年教師の方達が沢山集まって一夜信心、実習会をいたします。筑水連合会で、幹部の方達が秋永先生の話によると八十名位集まる。
 そげん来てどこに寝るのと、近所の人達は帰って貰わにゃならんちゅうてから話した事ですけれど、そう言う様な事、この教会で担当させて頂かねばならん事が段々起きてきた。そういう必要に迫られてまた、向こうの方へ百畳敷が出来ようとしておる。あげな御広前を建てて、こげなところでというような事ではないでしょう。だから成就する私共が思い立ってから、やったって成就するはずがない。
 成就したところがそれが本当のおかげになる筈がない。私はこの大祭のあと先生方と話した事です。去年のこの夏の御大祭にはもう、恐らく向こうの方へ百畳敷が出来とろうが出来たが最後、やはり神様はその時、その時でそこを一杯にして下さる、働きが今までの例からいうてある。椛目でも、椛目が広うなれば広うなるで一杯、合楽に来たとたんから、さあ御大祭といえば此処が一杯である。
 だからあそこに百畳敷ができれば、いよいよ此処が百畳敷だから、倍になるわけである。その倍を神様は、一年で満たそうと働きが、あるに違いないけれども、こちらの信心が出来なければ、それも出来る事じゃありません。そこでなら信心倍増運動という、それをお互いがもっと、本気で取り組まなければならないけれども、取り組むとは、どう言う事かというと、私は本当に今月今日が、それこそ有難うなるところまで、信心修行することだと思うです。
 今までの信心の喜びが倍になると言う様な、私は運動が展開されておらなければならない、そこからお参りの上に於いても、御供えの上に於いても、お手引きの上に於いても、その喜びが言動力となって、それがなされるというのでなければ、それは無意味である。倍増運動がはじまったけん、一ぺん参りよったつを二へん参ろう、はじまったから百円お供えするとを二百円しょうというと、ちゃんと自分の方の手元が苦しゅうなる。そういう事ではない。信心の喜びが倍増する。
 だから私は、いわゆる西脇殿が成就したというおかげでなからなければならん。又、出来たから出来たで、そこは倍増の助かりを求めて集まってくる信者さん達がここいっぱいのおかげを頂かれるような、おかげにならねばならんと言った様な、話をした事でございますけれども、本気で現在の喜びの倍の、今の信心の倍の信心がです、願われる信心であらなければならない。その根底をなすものは障子一重がままならぬ人の身であると言う所から、生まれてくる信心でなからなければならんと思いますね。
   どうぞ。